「目玉の学校」

目玉の学校 (ちくまプリマー新書)

目玉の学校 (ちくまプリマー新書)

いつもながら,著者の想像力の広がりには驚く。ものごとを見る目,考える視点と,それを深めていく思考力には,読んでいてもワクワクするものがある。
雨の表現について。広重が雨を線で表現したのは,ヨーロッパの人々には新鮮だったという。しかし,実際の雨は水滴である。それに気付き,それを確かめるために,雨とともに落ちて観察する。雨の表現方法という美術からはじまり,それを科学的な視点でも見る。さらに,それを検証する。このような著者の論理展開が好きだ。
ステレオ写真に興味をもった著者は,街路樹の影を撮影する。そのまましばらくすると,太陽とともに影が動く。そのシーンを同じ位置から撮影し,その2枚を立体視すると,影が立体になる。この発想がおもしろい。影の立体写真ということ自体,なかなか思いつかない。カメラを固定したまま,時間をおいて撮影する方法は何とも奇抜。
紙幣の真贋は,かなりの精度で見極めることができる。しかしそれは,紙幣の絵柄で行っているのではなく,さまざまな情報がかかわっている。紙幣の絵柄を,記憶だけで模写してみると,かなりいい加減な記憶しかないことから,このような結論に導いていく。読むものを納得させる。さらに,人の免疫機能へと話がつながる。
動物の能力と,そこにかかるコストとの関係は,生物をとらえる上で,大変興味深い考え方だ。生物学でも,コストと利益の考え方は取り入れられている。そのことを,的確に理解して,暗闇ではモノクロになる人の目を紹介する。人のものの見方を,カメラのズームレンズと単レンズにたとえた話もおもしろかった。
ただ,科学的には誤った理解をしているところが,一部にあったように思う。記憶があいまいで,具体的な指摘はできないが,誰でも完全ということはない。ややひいき目なのかもしれないが。