義母逝去

同じ区内の施設に入っていた義母が亡くなった。義父が亡くなって10年,二人が心配で近所に引っ越してから11年。施設に入って10か月くらいか。

以下は,女房を中心に事情を聞いたり,私自身が直接関わったことのメモをもとにした記録。

平日なので私は仕事だった。女房はときどき施設に出かけて,いっしょに散歩(と言っても車椅子)したり,話しかけたりしていた。今日もそんなつもりで出かけたのだろう。だが,午前10時頃に施設の義母の部屋に入って声をかけても反応がない。布団をにぎっていた。からだは暖かかったが息をしていない。ヘルパーに声をかけた。ヘルパーの責任者のSさんが救急車を手配し,到着するまで応急の処置として,まずはAEDもセットした。だが,機械は必要性を認めず,心臓マッサージをはじめた。

ほどなく救急車が到着。AEDを強制的に作動させたが反応なし。それから心臓マッサージを行う。

ちょうどその頃,10時10分に女房から私のスマホに電話があった。「ばあちゃんが息をしていない」と。一瞬,何のことかよくわからなかった。いったん電話を切って,だれもいない会議室に移動し,こちらから女房に電話をかけて,ようすを聞く。すぐに行くと伝えて,急いで会社を出る準備をする。

10時20分頃,会社を出たところで女房から電話があり,救急車で近くの大学病院に搬送すると。私も病院に向かうことに。通りに出るとすぐにタクシーが来たので,それで病院まで。地下鉄で2駅なので10時半には病院に到着。どこに行けばよいのかわからず,受付で聞いて救急の待合に。しばらくして女房がタクシーでやってきた。救急車にはSさんが乗ったと。待合に戻ると,Sさんが救急診察室の辺りから現れた。

三人で救急診察室に入る。母が救命処置されている区画に案内される。心電図などの計器がつけられ,心臓マッサージが機械で行われていた。

医師から救命処置をしているが蘇生しないという説明がある。しばらくして,心臓マッサージの機械をいったん止めたが,心臓は自発的には動いていなかった。

どこまで延命処置をするか,本人の希望を聞いていたかと,医師から聞かれたが,特に何も聞いていなかったのでそのように伝えた。あと一度,2分間だけ蘇生措置をし,それで処置を終了にするという医師の提案があり,女房と私はそれに口頭で同意。正直,機械による心臓マッサージは見ていて苦痛だった。人がやっても同じように強く胸を押すのだろうが。

そして,蘇生しなかった。10時49分,医師が確認して死亡と判断。母は帰らぬ人となった。

あまりに突然のことで,女房と二人で呆然とするのみ。すぐ近くに小さな部屋があり,まずはそこに案内される。死亡診断書が作成されると遺体を移動できる。遺体を処置するので,寝巻きと紙おむつを用意してほしい,部屋を出てすぐの自動販売機で購入可能と看護師から説明。

医師から,母をずっと診察してきたわけではないので,死因が特定できない。この場合,警察に連絡する必要があるが,おそらく心臓のトラブルで事件性はないとは思うと。でも,医師が事件性の有無の判断はできないので,連絡するかどうか,迷っているようだった。

警察に知らせると,検視がはじまり,2,3時間は余分にかかってしまう。それもかわいそうだと考えてくれていたようだ。

札幌の義姉に女房が電話したが通じない。平日の昼間なので,仕事中なのだろう。11時20分頃に,とりあえずメールをした。

自販機をチェックしたが,母のサイズの寝巻きがちょうど売り切れ。地下の売店まで行って購入。私は弁当があるのでそれを食べることに。女房は気分転換にもなるので,売店に自分で食べ物を買いに行き,サンドイッチなどを買って戻ってきた。

病変が確認できれば警察に連絡は不要なので,全身のCTを撮ったが異常なし。血液検査(トロポニン)から,心不全の兆候が認められるが決め手にはならないと医師から。ただ,数日前から,施設に来ている医師が,不整脈と心房細動を確認しているようだった。その医師が診断すれば,おそらく心不全で死亡となったのだろう。

医師は警察に伝えるかどうか迷っているようだったが,女房が警察に知らせることを医師にすすめ,その方向に決まる。

13時45分頃,葬儀屋に電話し,病院から自宅へ運ぶことと,自宅の近くの斎場の確保を依頼。

その後,警察官が二人やってきて,私たちに話を聞いた。また,施設にも行って,ようすを確認して事件性はないと判断。ほどなく母は自宅に戻った。

明日が通夜,明後日が告別式となった。