ペットボトルはどこに消えるのか

 15日に書いたようなことは,本来ここで書きたいことではない。何をどうしたかというような事実の羅列だけではなく,何らかの主張を持ちたい。そのように思いながら,このページをつくりたい。ここで気を引き締めるために,宣言しておこう。
 と言っても,誰のためでもなく,ただ自分のために書いている。結局,好きなことを好きなように書いていくのだろう。その思いも,ときとともに変化していく。上のように書いておけば,自分の思いがどのように変化していくかがわかってよい。
 本題に入ろう。最近,水筒を持って会社に出かけている。水筒を持たないと,500mLのペットボトル1本を消費する。会社のペットボトル回収箱を見るたびに,こんなに資源を浪費してよいものだろうかと感じる。感じることが年寄り臭くなったが,ほんとうにそのように感じる。
 若いスタッフに,そのことを話すと,ペットボトルはリサイクルしているからよいと言う。ほんとうだろうか。回収されたペットはどのように再利用されるのだろうか。
 ポリエチレンテレフタレートと言えば,ワイシャツだろう。ワイシャツにはふつう,ポリエステルと表記してある。でも,回収ペットボトルで再生されたワイシャツを,わたしは1着も持っていない。それどころか,ペットボトル再生品を,ほとんど使っていないように思う。ペットボトルを回収箱に入れただけ,再生品を手にしていれば,わたしも安心して毎日コンビニで飲み物を買うことができる。
 実際,回収されたペットボトルはどうなっているのだろうか。繊維にして衣料品に再生する以外には,固めて建築材料にする話を聞いたことがある。しかも,海外,おもに東南アジアに輸出するというものだったと思う。それでどうなるのだろうか。
 建築材料と言いながら,建物の基礎として,地中に埋められているようなことがなければよいのだが。どこかに捨てられるのと同じような処理であるなら,そのまま燃料にして,石油の消費を減らす方がどれだけ気が楽になることか。
 そう考えながら,環境に優しいことをしていることに自己満足し,善人面した中年の自分自身にも,いやになってくるのは,単にわたしがひねくれものだからであろう。