「メディア社会」

メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)

メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)

興味深い内容を思いつくままに,自分自身の感想を交えながら。何がこの本に書かれていることで,何がわたしの感想なのかあいまいなのはよくないが,気になったら本を読んでください。

インターネット関連企業は,メディア企業ではなくIT企業とよばれる。それは,既存のメディア企業が認めたくないからか。
情報ということばは,軍事用語から生まれた。「敵情についての報告」の意味らしい。確かに,情報部というときの情報と,情報化社会というときの情報は,イメージがかなり違う。
プロパガンダアジテーションの違い。「宣伝家は一人または数人の人間に多くの思想を与えるが,煽動家は,ただ一つの,またはただ数個の思想を与えるに過ぎない。そのかわりに,煽動家はそれらを多数の大衆に与える」「宣伝家は,主として印刷された言葉によって,煽動家は生きた言葉によって,活動する」
プロパガンダは論理的,アジテーションは情緒的という説明は,うなずくことができる。
終戦の日がいつかを記憶している人に比べて,開戦の日(真珠湾攻撃の日)をいつかを知っている人は少ない。また,終戦の日が8月15日であることに疑問を感じる人も少ない。この日は,「終戦詔書」を放送した日であって,ポツダム宣言受諾の日ではない。
ひまつぶしの快楽であるテレビは,目で噛むチューインガム。
従軍慰安婦」「南京事件」の問題も,メディア論的に見れば,文書と発話の対決。記録文書にもとづく実証史学と,「証言」「告発」による異議申し立ての対立。教科書の終戦記述は,一般的に関心の高い小中学校は8月15日,実証史学の影響が強い高校は9月2日。
そう言えば,疑似科学の議論でも,「実験」と「体験」を混同すると,大きな勘違いをする。
伏せ字がある方が,検閲の存在がわかる。検閲の存在すらわからないことの方が恐ろしい。
市民参加の衰退を分析した「孤独なボウリング」。一人で黙々とプレーする。個人的な娯楽が増えるほど,社会への参加は減少するのか。
犯罪が多い,少ないという判断はどうやってするのか。テレビなどの報道の有無,自然に刷り込まれた印象だけで測っていないか。
「伝統の巨人・阪神戦」や「千秋楽の横綱うしの取り組み」と同じような娯楽に,政治も矮小化されてはいないか。勝った,負けたという勝敗だけの政治は恐ろしい。
誘導尋問的なアンケート。朝日新聞の「住民基本台帳ネットワーク」に関する世論調査は,極端な事例ではあるが,メディア・リテラシーのよい教材になる。
ヨロンとセロンは違う。ヨロンは輿論で一般の意見。セロンは世論で一般での風説。当用漢字に「輿」がないため,ヨロンとセロンは「世論」に。いまの世の中では,世論という本来の意味だけになったように思える。
デマの心理として,人は不安であればあるほど,心地よい話題に飛びつく。
自分が選んだものに対して,それがよいという情報を好んで見て,否定的なものを避ける。そのようにしていると,のめり込むだけで,冷静さを失ってしまう。

発散的コメントで,筋や骨がない。といっても,記憶もあいまいで,それほどしっかりとまとめることもできない。単なる記録として残すのみ。読んでしばらくすると,こうも忘れるものかと嘆いても遅い。