何でも利用するだけ。自分で何とかするのは,どちらかといえば変人扱い。なぜなら,割が合わないから。
世の中はそんなもの。そのように映っているのではないか。
人々は科学技術の恩恵を受けている。以前は,科学技術のすばらしさを実感していた。でも,いまは当たり前すぎて,恩恵を感じる人は少ないのではないか。科学技術は利用するものであり,自ら追究する対象ではない。それらに興味をもち深めようと考えるのは,どちらかといえば無謀なことなのだ。
科学技術は大切。科学の学力低下は,未来の日本にとって大きな問題だ。このようにいわれても,何となく説得力がない。単に科学技術を利用することしか考えていないこの発言は,勉強を強要されている子どもたちをしらけさせるだけだ。
科学者や技術者を優遇して欲しい。すばらしい待遇で迎えて欲しい。好きでやっているのだから,処遇は関係ないという考えは間違っている。新しいものを開発していく人,新しい技術を持っている人たちが,あこがれの的になる世の中にしなければならない。でなければ,だれが利用されるだけの役回りを進んで選ぶのだろうか。
以前,コンピュータに精通しているものが,かえって損をすることを書いた。使えるのは努力した結果である。使えないものの中には,環境を整えてもらうのが当たり前,教えてもらうのが当たり前のような気持ちのものがいる。わたしは,このような間に嫌気がさした。
お互いに助け合うことは大切だ。でも,一方的に搾取される関係はうまくは続かない。損な役回りはご免だと,多くの人が思って消えていく。
ほんとうに役に立っていることを大切にしよう。直接利益にならなくても,利益を生む仕事をささえることに,注意を払おう。縁の下の力持ちの存在を意識して,その人たちを尊敬しよう。おとなが変わらなければ,子どもの変化は期待できない。