英断だと思う。実行にはさまざまな問題が絡むが,向かうべき方向がよいかどうかが大切だ。いままでの流れに従うのではなく,ここで立ち止まって考えることが必要だと思う。
わたしのできることと言えば,まずは節電にも努めようと思う。寒がりで暑がり,つまり辛抱がなくわがまま。これを少しでも改めようと思う。夏は冷房でがんがん冷やすのが好みだが,今年からそれはやめよう。
わが家の階段。電灯は90Wの白熱灯2つ。これがよくつけたままになっている。まずはこまめに消すことを努めるとともに,白熱灯1つ取り外した。機会を見つけて,LED電灯に変えようと思う。わずかなことかもしれないが,消費電力の大きいところ,やれるところから見直し,すぐに実行しようと思う。
電球が切れてもすぐに取り替えられるように,予備の電球を買って保管してある。消費電力の大きい白熱球は,ある程度の無駄を覚悟するにしても,蛍光灯などは使い切ってからLEDにしていくつもりだ。
いまこれを書くために,パソコンを起動している。携帯可能なノートパソコンなので,消費電力は少ない方だろう。
わが家のパソコンはすべて無線LANでネットワーク化している。四人それぞれにパソコンがあり,いつでもネットワークにつながるような環境になっている。つまり,ルーターやアクセスポイントはいつも通電されている。
また,音楽を聴きながら書いている。イヤフォンではなく,電源を必要とするスピーカーをiPhoneにつないでいて,ここでも電気を使っている。
このような電力消費をどこまで切り詰めるかはまだ考えていない。節電と言いながらまだまだ甘いのだろうが,極端なことではなく,できるところから徐々に進めていき,継続できる形を見つけたいと思う。
なお,2年ほど前,浜岡原発を見たくなってでかけたことがある。そのときのブログには次のように書いてあった。
御前崎灯台をあとにし,浜岡原子力館へ。何となく,浜岡原発をながめてみたかった。
原発の賛否を問われれば,反対。物事に100%はない。だから反対なのではない。100%はないはずなのに,絶対安全のようなことを言う点が疑問なのだ。事故をも想定した安全対策がなければ,こんな危険なものはない。
この思いはいまも変わらない。いつも大きな犠牲がないと安全神話はくずれない。経済との絡みがあってむずかしいのだろうが,「公害」と通じるものを感じるのはわたしだけだろうか。