「テレビニュースは終わらない」

テレビニュースは終わらない (集英社新書)

テレビニュースは終わらない (集英社新書)

“「戦争の最初の犠牲者は真実である」。1918年にアメリカのハイラム・ジョンソン上院議員が述べたこの言葉は,イラク戦争を経てきた私たちにとってもいまだ「至言」である。”(P.14)
戦争における報道のあり方が,その国の自由の証だろう。また,報道の内容を見れば,どの報道機関が信頼できるかがわかる。歌を歌う自由まで危うかったアメリカには,わたしはほんとうに驚いた。あのアメリカで,アメリカだからこそ,いろいろな意見はあろうが,自由の国がわたしの中で大きく揺らいだ。

従軍している記者たちは,目の前で起こることばかりに熱中した。戦地という異常な環境で,長時間にわたり一緒に過ごす兵士たちと同化していき,兵士は「味方」や「同志」になった。このような記者が,まっとうな報道ができるのだろうか。

戦争の生々しい報道は,手に汗握るアクション映画と変わらない。茶の間のショーとなってしまった。もはや戦争の悲惨さや無意味さを訴える威力をなくした。戦争の真実を暴く手段をなくしてわたしたちは,ただショーを見て興奮するだけで,その先にある何かを想像する力も失ったようだ。

そのような報道をはじめたのがFoxテレビだとしても,視聴率確保のために追随した他のテレビ局も,何ら変わるものではない。多面的な報道と言いながら,結局は自国よりの国々の報道を集めるだけであった日本のテレビ局もどうようだろう。このような状況を見抜けないと,世界中がこの戦争を肯定しているかのように聞こえてしまう。

アメリカを代表するジャーナリスト,デイヴィット・ハルバースタムは,いまから10年以上も前,日本のある記者から,「ジャーナリズムの重要な機能とは何か?」と問われ答えのなかで,「アジェンダ・セッティング」(議論すべき議題設定)を挙げたそうだ。”(P.138)
小泉劇場」といわれた選挙では,「アジェンダ・セッティング」は政府にあり,マスメディアはそれを追いかけるだけだった。ただ,メディアばかりを責めるわけにはいかない。それを喜んでみていたわたしたちにも問題はあると思う。

双方向メディアであるインターネットと,一方向寡占のマスメディアという対立図式はよく聞く。現在のマスメディアはあまりにも大企業化しており,特権階級の集団としか思えない。彼らが一般人のように装い,自らが正義の代表だと行動することも白々しく感じることがある。だからといって,インターネットがよいとも思えない。勝手気ままな議論やモラルを欠くやりとりも嫌になる。

このようなメディア不審を打破する手だてはあるのだろうか。まじめに取り組むジャーナリストと,彼らが活躍できる場があることを祈るのみだ。

しばらく前に読んだため,当時何に感じたのかよくわからなくなっている。それなら読んだ意味がないとも言われるが,そのときどきで血肉になっていると思わなければ救われない。