BGM

BGMといえば,バック・グラウンド・ミュージック。誰もが知っている。しかし,最近のテレビを見ていると,バック・グラウンド・ムービーという言葉ができてもよいくらい,映像としてそれほど意味のない動画を,バックに流している場面に出会う。
毒カレー事件の裁判について伝えるニュースで,被告の自宅での動画がバックで流れる。子どもを高層階から突き落とした犯人について伝えるニュースで,逮捕されて連行される動画がバックで流れる。
もちろん,最初の報道でそれらの動画を使うことには,被告や被疑者をイメージさせるために必要なのかもしれない。また,それなりの臨場感を生む効果もある。しかし,何度も見せられると,それにどんな意味があるのかと疑問に感じる。あきれかえるほど陳腐でチープな発想に見えてくる。
これらを見せつけられていると,事件の内容よりも,写し出されている個人の映像がすり込まれ,被疑者はますます悪い奴に思えてくることもあるのでは。何だか洗脳されている気分だ。テレビの恐ろしさをも感じる。
考えてみると,ニュース現場からの中継にも,不思議なものがある。その現場の風景などが,伝える事件にとって重要な場合がある。たとえば,工場の火災であれば,それがどの程度の規模であったのかなど,現場の中継からも知ることができる。人気のない道での事件であれば,そこがどのような場所であったのかを見せれば,言葉以上の情報を伝えることができるのだろう。
しかし,逮捕された犯人がいる警察署前からの中継には,どんな意味があるのだろうか。警察署の玄関前で,記者がボードのメモを見ながら,事件や被疑者のことについて説明し,最後に「被疑者が連行された○○警察署の前からでした」という中継を見ると,いったい何だったんだろうかと思ってしまう。どこにでもある警察署の玄関風景からは,現場の臨場感は伝わってこない。その中継から得られる情報は,記者のボードに書かれていることだけであり,スタジオから伝えても何ら変わるところはないように思う。
このように見ていくと,テレビのニュース報道のあり方は不思議としか言いようがない。ではニュースの多くはラジオでよいのか。
意識してみると,取材相手が話しているシーンで,ほとんどの場合に字幕がでている。音声がなくても,その内容がだいたいわかるようになっている。人によっては,聞きづらいこともあるので,音声と字幕の両方があると,わかりやすいように思う。映像があるメリットだろう。
わたしが子どもの頃,ニュース番組の画面は,文字が主体だったように思う。もちろん現場からの中継や,現場の映像なども使っていたが,それらはその効果があるものだけだったような気がする。多くは,ブルーのバックに白い文字で,アナウンサーが伝えているニュースの要点を映して出していた。いま思えば,音声もあるのにどうして文字を出すのかと思えるほど。
時代とともに,テレビ番組のつくり方も変化している。そろそろ新しいタイプのニュース番組が生まれてもよい頃なのかもしれない。期待して見つめていたい。