チェ 39歳別れの手紙

きょうは映画を見に行った。9時半過ぎに家を出て,10時半ごろ映画館に。座席をとってすぐに席に着く。10時50分からはじまる。

パート1と同じように,淡々と記録映画のような流れ。ただ,革命が成功に向かうキューバと違い,重くて暗くなる。なぜ彼はこのような行動をしたのか。キューバと同じ思いなのだろうが,環境は違っていた。

きのうから体調は悪く,映画の途中も集中力がかけるときが一瞬あった。食事をすると,少しはよくなるのではないかと思い,映画館を出てすぐに昼食。すでに1時半ごろだったので,店もそれほど混んでいなかった。ネギトロ丼と味噌カツ,田楽などのランチセット。体調が悪い割には,おいしく平らげた。

この店から見えた景色。

名古屋駅前のロータリーは,子どものことからあまり変わっていない。大名古屋ビルヂングも古くからある。でも,こちらの方角から見ると,名古屋駅前の変容の大きさがよくわかる。

最近ときどき,自分が未来を生きていると感じることがある。子どものころから考えると,現在は未来社会。高層ビルが建ち並び,携帯電話で連絡しあう。わずかではあるが,電気も使う自動車が走っている。このブログを書いているMacBookも,その環境であるインターネットも,子どものころには想像もしなかったものであり世界だ。

町並みや手元の便利な装置は未来だが,われわれの生活は変わっているのか。確かに豊かになっているのかもしれない。休日に女房と出かけて映画を見て,サービスランチではあるが二人で外食をする。このような生活ができていることは,ほんとうに幸せなことだと思っている。平和であればこそとも思う。

でも,多くの失業者がいて,生活に困る人たちが,この同じ国にいる。かつては,世界を見渡せば,非常にきびしい生活があった。これもグローバル化なのか,いまは日本の中に,かつての世界の差が見え隠れする。より身近に格差を感じるようになってきた。

チェ・ゲバラの時代の南米と,いまの日本とでは違いすぎるかもしれない。でも,苦しみの差ははかれるものではない。現在の日本の状況は,30年後,50年後の未来に,そのときの人たちにどのように映るのだろうか。

昼食後,今度の家族旅行のためにガイドブックを買いに書店へ。本をながめていると,また気分が悪くなる。ほんとうは,娘から聞いた店でアップルパイを食べて帰る予定だったが,書店を出てそのまま帰宅した。3時ごろ家に戻り,すぐに横になる。そのまま5時まで寝てしまった。