義父の他界(2)

転院の話は具体的になってきていた。3月28日に呼吸状態が悪くなったが,翌日には復活したため,30日には転院先の病院へ女房が面会に行くことになっていた。その30日に事態は急変した。

水曜は朝から会議があるので,わたしは少し早めの出勤だった。その会議中に娘から「祖父危篤」というメールが届いた。女房に確認のメールを出すと,「高カロリー点滴からの感染症の疑い。また連絡する。」という返信。そして,11時半頃に女房から,「だめだった」という電話。転院のはずだったのが,何とも突然の話である。
3月30日午前11時26分に死亡。直接の死因は敗血症。おそらく高カロリー点滴からの感染症によるものだと。
12時に会社を出る。家に戻って適当なものを口に入れ,すぐに車で病院へ向かう。わたしが病院に着いた午後1時には,義父の遺体は自宅に向かって出発。わたしは病室にいる女房と,荷物を持って車で戻る。すでにベッドで横になっている義父と対面。声をかけると目を開けてしゃべりはじめそうな印象。

さあ,これからどうしたものか。喪主になるだろう義母は高齢,女房の姉夫婦は札幌。わたしが段取りをとるしかない。さっそく葬儀屋と葬儀会場を決めて連絡。午後4時に担当者がやってくる。午後6時頃には一通りが決まる。31日が通夜で,1日が葬儀・告別式に。4月1日は娘の入学式。告別式の途中から抜け出して入学式に参加して,火葬後に行う初七日の法要には戻ってくる予定だ。そのように考えて,告別式の時間も決めた。
女房と義母が親戚と近所に連絡をする。その後,明日以降のそれぞれの担当を決めて確認する。
子どもたちも呼んで義母宅で夕食。女房はそのまま義母宅に泊まる。わたしは子どもたちとともに自宅に帰る。それから,親戚の名簿や段取りを確認し,家族の行動予定などを表にまとめる。これで大丈夫と思ったときには午前3時になっていた。

31日は,10時に納棺,15時には家を出て,通夜の会場に向かう予定だった。まずは10時に義母宅へ。納棺が遅れている。11時になったので,わたしは区役所に死亡届を出しに行く。戻ってくると納棺がほぼ終わっている。昼食をとってから自宅に戻り,すぐに犬の散歩。それから着替え,準備して14時半に子どもたちをつれてまた義母宅へ。
義母宅には,札幌から女房の姉の家族がやって来ていた。久しぶりに皆がそろう。予定より少し遅れて迎えの車が来る。タクシーも呼んであり,皆で会場へ向かう。10分ほどで会場に着く。やはり近いところを選んでよかった。ただ,適当な広さの部屋が空いていなかったため,かなり広めの部屋。祭壇も部屋に合わせて少し大きくした。会場や祭壇など,集まった人たちからは特にクレームもなく,とりあえず安堵。でも,この広い部屋にどれだけの人が集まるのか不安だった。
(この続きはまた後日)