義父の他界(1)

義父が亡くなった。覚悟はしていたが,思ったより早くやってきた。

高齢で肺炎を起こしやすくなっていた。また,義母への負担も大きくなってきたので,とりあえず検査をかねて入院したのが1月。治療を特に必要とする病気はないという判断で,2月のはじめに他の病院へ転院した。転院して数日後のことだった。
2月11日午後11時半頃,転院した病院から電話が入った。至急病院に来て欲しいと。すぐに準備して,義母宅(歩いて1分程度のところ)を経由して病院へ向かう。病院へ急ぐ日は,いつも連休の初日だ。
午前0時頃病院に着く。正面玄関も駐車場も閉まっていたので,路上に車を止めて,裏口から入る。夕方から呼吸障害があり,午後8時頃に悪化傾向,さらに悪化してきたので,対応できる病院へ移したいと,若い医師から伝えられる。了承すると,看護師がはじめに入院していた病院へ連絡。すぐに救急車で移動することに。
わたしと女房は車で,救急車より一歩先,午前0時20分頃に病院を出発。しかし,途中で義父と義母の乗った救急車にぬかされる。午前0時40分頃,病院に着くと,義父は治療室,義母は待合室で待っていた。
しばらくして,肺炎で危険な状態であるという説明が医師からあった。そのように言われてもなかなかピンとこない。とにかく,三人で病院に残り,今後のようすを見守るのみ。またしばらくして,人工呼吸器をつけるかどうかの判断をと医師から。人工呼吸器は,一度つけると亡くなるまでははずせないだろうと。つまり,意識のない状態のまま長引くこともある。
午前3時に,女房が札幌にいる姉に電話して,人工呼吸器のことを相談する。義母,姉,女房,そしてわたしの四人で,人工呼吸器をつけないという判断をする。
もともと結核気胸治療を受けていて,一方の肺はかなり小さくなっている。残された肺も,肺炎で半分以上が機能していない。酸素吸入を行うが,体内の二酸化炭素濃度が下がらない。酸素量を多くすれば,酸素は効率よく吸収される。そのため,呼吸回数が減少し,二酸化炭素の排出が不十分になる。なかなか単純ではない。
夜が明けるとともに,二酸化炭素濃度が減少しはじめ,状態はよい方向へ向かいだした。その日の午後には意識も回復して,このときの山は越えた。

食べ物をうまく飲み込むことができず,誤嚥による肺炎を起こす。上記の肺炎の原因も,食べたものが肺に入ったことによる。そのため,飲食はまったくできなくなる。まずは高カロリーの点滴。胃を切っているために胃ろうができない。腸に穴をあけようと考えたが,これも腸の位置が悪くてできない。結局,栄養源は点滴のみに。

また,MRSA感染があり,別室に移ったりもしたが,しばらくは小康状態が続いた。そろそろ別の病院へ移る話が出始めていた。そのようなときに事態は急変した。
(きょうはここまで)