映画「新聞記者」を見た

先週に続き,女房と映画を見に出かけた。少し前に知った映画「新聞記者」だ。現政権に対する批判もあり,いまの政治情勢から見て,よく公開できたと思うが,そのような状況であることは,映画ではなく現実の問題として心配だ。

チケットは2日前にネットで買ってある。劇場に行ってスマホに表示させたQRコードをかざせば,購入したチケットが出てくる。いつも便利に使っているが,考えてみれば,未来社会になったものだ。若い頃ならSFの世界。

10時半ごろに家を出て,バスと地下鉄で名古屋駅に。映画は午後1時20分までなので,途中でお腹がすいてしまいそう。パン屋に入って軽く間食を。そこで時間調整してから映画館に。これは最近のパターン。

映画館は人でいっぱいだった。いろいろな映画をやっているので,「新聞記者」を見に来た人がいっぱいというわけではない。トイレによってからチケットを出して,上映スクリーンに向かう。

テレビ局は大企業となり,初期の頃の勢いはなく,安定志向なのか,電波を握られているからか,政権に対峙することはなくなってきている。新聞は,政権よりか,その批判かという2つに分かれているようだが,営利企業である限り,どうしても安定を考えるのだろう。ジャーナリズムは権力の番犬と言われた。でもいまでは,権力を見張る番犬ではなく,権力に飼われている番犬もいる。悲しく,恐ろしい時代だ。

だからこの映画をつくったことには意義があると思う。実際に安倍政権で報道されている疑惑に類似した問題が出てきたりするのも,これが映画として残ることを考えれば,避けられないし,必要な要素だろう。若い新聞記者への圧力も拷問のような厳しさがある。父親も新聞記者で,政治家のスキャンダルを暴いたが,結局は握りつぶされ命まで落としている。そして,そのことまで使って,新聞記者を脅す。政府の立場を守るため,情報を操作している組織の恐ろしさ。そこで働く若者の苦しみ。

ただ,なんとなくもう一つ何かに欠ける。急いでつくったからなのか,緻密な映画という感じではないのかもしれない。どこがどうときちんと批判できないが,そのような印象もあった。

また爽快さはない。あえてそうしているのだろう。現実社会がそうなのだから。こんな状況は早く脱してほしいが,アメリカがあの状況,いったいこれからどうなっていくのか。

映画が終わってスクリーンをあとにするとき,見に来ている人たちのようすを見ると,私が若い人と思う,30代以下の人が少しはいた。このような映画を見に来る人は50代以上だろうと思っていたので期待したい。

映画の後,名古屋駅に戻る地下通路の途中にある店で,ビールとつまみの昼食。ビールを3杯飲んでいい気分になって帰路についた。