義母が亡くなったのが,去年の6月30日。早いもので,もうすぐ1年になる。以前から,女房が準備していた一周忌の法要がやってきた。親戚がこれだけ集まるのも,もうあまりないのかもしれない。
昨日,札幌から義姉夫婦が到着。今回は母の残したものを持ち帰ることができるようにと,フェリーを使って車でやって来た。札幌ナンバーの車。名古屋では珍しい。
朝9時半に義母の家に車で行って,義兄とともに近所の有料駐車場にお互いの車を停めた。これで義母の家に1台,私の家に2台の車を停めることができる。私の家には叔母(義母の妹)と従兄弟の車,義母の家には住職の車を停めるようにしてある。
その後,義母の家で義姉夫婦と話をしていたら,従兄弟が付き添って叔母(義父の妹)が来た。その従兄弟は用事があって,仏壇を参って帰って行った。義兄と私はまだ着替えてもいなかった。私は自宅に戻り準備して,わが家に駐車する来客を待つ。
叔母(義母の妹)が車でやって来た。一方通行が多いため,迷ってしまったと。もう少しちゃんと案内をしておけばよかったと反省。この叔母,80歳くらいだと思うが,頭も体もしっかりしていて,軽自動車をうまく狭いスペースに停めた。しばらくして従兄弟の車も。2台ともに軽自動車だったので,わが家の駐車場も余裕だった。
11時5分前くらいに義母の家に戻り,ほどなく住職がやって来た。準備して11時5分くらいから経が始まった。今日は全員で14名。仏壇のある和室だけでは窮屈なので,ふすまを外したりしたの準備を,義姉夫婦がしてくれてあって正解だった。
30分ほどの経の後,少し休憩。そこで10分くらいの説教。それからまた経で,12時頃に終了。住職が帰った後,皆でお茶をしていたら,頼んであったタクシーが到着。近所の店で皆で昼食をするため,タクシー3台と娘夫婦の車に乗って移動。乗り合わせは私が事前に決めておいたので,皆にそのように乗ってもらう。
まずは義姉夫婦と足が弱くなった叔母(義父の妹)が1台目。義姉が先に店に着き,その後の来客を迎える手はず。残り2台で来客の方々を送り出し,女房と息子と私は,戸締りをした後,娘夫婦の車で店に。
皆が揃ったところで飲み物を注文する。私たち夫婦と従兄弟くらいがビール,あとの方々はソフトドリンク。娘婿はアルコールが飲めず,こういうときはいつも運転手。ありがたいやら,申し訳ないやら。
まずは義姉から,今日のお礼とともに,墓のこと,家のことを報告する。
女房の実家は娘二人のみになり,義姉は札幌に住んでいる。私たち夫婦は,義父母だけでは心配になって来た,10年ほど前に,義父母のすぐ近所に家を買って住んでいた。そのため,義父が亡くなってからは,義母が一人で暮らし,義母が施設に入ってからは空き家だった。
また,仏壇と墓があり,これらを今後どうしていくか,女房姉妹が相談し,墓はとじて別の場所に納骨,家は一周忌が終わったら売却と決めていた。そのことを伝えた。義父母の家は,今日来てくれた方々がよく集まった場所なので,きちんと報告をとの思いもあった。
墓については,女房が先に手配して,撤去して遺骨を取り出していた。そのようすの一部を,私が写真にしたものも準備して見てもらった。墓をどうするかは,それぞれに悩みがあるようで,叔母(義父の妹)はどのようにしたかを,女房に熱心に聞いていたくらいだった。
12時半から3時頃まで,話をしながらの食事。このように皆がそろうことももうないだろう。最後に店の人にシャッターを押してもらい,記念撮影をした。
タクシー3台と娘夫婦の車でまた義母の家まで戻る。本当は,娘夫婦が客二人を,近くの駅まで送っていく予定だったが,その客の一人の財布が見当たらない。義母の家に戻って,探してみることに。でも,結局財布は見当たらず。どうしたのだろうか。
娘夫婦は,もともと駅まで送る予定の客二人を乗せて帰っていた。他の客たちも皆帰り,義姉夫婦と私たち家族だけに。菓子を食べて茶を飲み,しばらく休憩。それから私たちは自宅に戻った。
しばらくしてから,近所のスーパーで総菜などを買いに行った。今夜は,義母の家で義姉夫婦とのんびり飲むことに。まずは持って来たいただいた秋田の酒,北海道のビール。
義母宅に残っていた日本酒を開けてみたが,やや黄色くなっていてあまりうまくない。かなり古いもので,やはりダメだった。
何とか一周忌の法要も終わった。