電子書籍とページ

電子書籍を編集するにあたっては,「ページ」の考え方をいま一度見直す必要があるのではないか。

このところ話題になっている電子書籍は,紙の本をまねたつくりがほとんどのように思う。画面がそのまま紙面のイメージになっていて,画面の切り替えもページをめくるアニメーションになっていたりする。

もちろん,画面の切り替えは,切り替わったことがわかる工夫は必要だろう。特に,文字が主体の画面では,切り替わったかどうかはわかりづらい。紙をめくるアニメーションでなくてもよいが,切り替わっていることが,視覚や聴覚に訴えるしくみは必要だ。

でも,ここで悩んだことがある。電子化したのに,なぜ「紙面」にこだわり,「ページをめくる」しくみをもつのか。ウェブでは「ページ」に量の制約がない。わたしは,電子書籍はウェブに近いものだと思っていた。ウェブでは,1つの画面に表示しきれない場合は,画面をスクロールさせるのがふつうなので,電子書籍もこのようなものをイメージしていた。

ただ,画面をスクロールさせて文字を追うのは,読んでいる位置を見失いがちでつらいものがある。そういう意味では,1画面単位で切り替えた方が読みやすいと言える。しかし,画面の区切れにより,関連するものが泣き別れになってしまった場合はどうだろうか。スクロールなら,同時に見たいものを一画面に表示することも可能かもしれない。

  スクロール 切り替え
ページ 量の制約がない 量の制約がある
画面の切れ目 可変 固定(泣き別れ)
画面の位置 動く(位置を見失う) 動かない

どちらにも,メリットとデメリットがあるが,単に慣れているからと言う理由で,紙の本の形態にこだわり,電子書籍の可能性を狭めることだけはしたくない。

わたしは,本の構成そのものを変えていく必要があると思っている。たとえば,「部−章−節−小節−…」というように,本をきちんと構造化するのは当然として,最小ブロックを1画面で表示できるようにすることも必要ではないかと思う。画面のサイズにもよるが,それは内容上の性格によって決めればよい。

どうしてもおさまりきらない場合にはスクロールも使うが,何行にもわたるスクロールでなければ,それほど読みづらくはないと思える。紙の本では「ページ」で示して参照させていたことも,電子書籍では「最小ブロック」で示せばよい。内容を構造化した「最小ブロック」で参照する方が,紙の都合によって生まれただけの「ページ」で参照するよりも,ずっと使いやすいのではないか。

なお,電子書籍を読むソフトによっては,ページ単位の切り替えと,スクロールのどちらも可能なものがあるようだ。結局は必要に応じて使い分けができれば問題はないのかもしれない。でも,新しい本の可能性を探っていきたいので,あえて「ページ」について考えてみた。

文字の表示サイズの変更など,レイアウトにかかわる点については,またいつか整理したい。