デジカメ時代のスナップショット写真術

スナップ写真にあこがれながら,街角の人にカメラを向ける勇気もなく,何を撮ったらよいかわからない。高校時代からの思いである。でも,スナップ写真とはいったい何なのかということは,それほど考えたことはなかった。

高校時代,主な被写体は学校内の人々であった。それらの多くは,いま見ればスナップショットといえる。身近なものたちの生の姿を,その中にとけ込んで写すころができた。わたしには,それらの写真に自分自身も写っているように見える。

家族の記念写真も,そのときどきの瞬間の記録以上の意味がある。写真を見ることによって,そのときのさまざまな記憶がよみがえる。記憶を共有するものにとって,一枚の写真は大きな意味を持つ。

どこにでもありそうな街の風景も,そこに住んでいるものや,そこを知っているものにとって,風景以上のものを感じさせる。一枚の写真から,音が聞こえたり,においが香ったりする。写真にない光景までもが見えてくる。同じ空間を共有したものにとって,写真は視覚以外の感覚をも呼び覚ます。

もっと不変な風景があるのではないか。その時代をともに過ごさなくても,経験を共有しなくても,同じ空気を吸っていなくても,自分の歴史に共鳴する何かを感じる写真もある。もしかしたら,そこに自分もいたのではないかと錯覚するように思わせる写真もある。

自分の身の回りで,自分たちだけが感じると思っている情景が,時間や空間を越えて共鳴してくれる人がいるのではないかと考えるとおもしろい。散歩をしながら目にとまる光景を,何となく懐かしく感じることがある。はっきりと再現できない,遠い記憶が作用しているのかもしれないと思うと,それを写真に残したくなる。もっと写真を撮ろうという気持ちになる。

ちょっと出かけるだけなのに,カメラを首に下げてしまう。そのようなわたしのことを,もう家族は不思議がらない。それだけカメラを持って出かけているのに,自分自身を感動させるものもなかなか撮れない。スナップ写真は奥が深い。

この本を読んだのは数か月前。内容についてはあまり記憶がない。この本の読後コメントしてふさわしくないかもしれないが,スナップショットから連想することをまとめてみた。この本に書かれている内容とは異なるかもしれないが,わたしがこの本を読んで感じることは,それほど変わらないだろう。