威圧する教師

理科の教師について,忘れられない出来事がある。中学2年のとき。わたしたちのクラスを担当する理科の教師の代わりに,別の理科の教師がやってきた。厳しい教師であることは,うわさで知っていた。

その教師が入ってきても,まだ騒いでいるものがいた。厳しい口調でその生徒を前に出させ,皆の前で注意した。注意している教師は,椅子に座って足を組んでいる。注意される生徒は,頭をたれて立っている。

さらに,その教師は,自分のスリッパを手に取り,その生徒の頭を2,3回,かなり強くたたいた。教師は,自分がまちがっていないことを説明しながら,その行為に出た。クラス中が重苦しい雰囲気になった。

どうしてそこまでするのか。生徒に馬鹿にされるのがこわいからなのだろう。わたしはその教師の弱さを感じた。弱いからこそ,威圧的な態度や暴力にたよるだと思い,教師だけでなく,大人に対する不信感にもつながった。そう言う年頃でもあったから。

その理科教師は,静まりかえった生徒を前に,アメリカの理科教育のすばらしさを語っていた。わたしには虚しく響くだけだった。自分たちの受ける教育ではなく,海の向こうの話をされてもピンとこない。それに,いままさに,そのような理想とは正反対の教育を目の当たりにしては,どんな理想的な教育だって消え失せてしまうだろう。

わたしの好きだった教科である理科を教える教師だったこともあって,そのときのショックは小さくなかったのだろう。思い出すたびに,いまだに腹立たしく,怒りと悲しみがこみ上げてくる。

これはかなり特殊な例なのだろう。世の中には立派な先生もたくさんいる。大多数の教師は,子どもに慕われるふつうの方々だと思う。でも,このような教師がいたということは,いまでも残念でならない。