レゴの思い出

小学校3年の正月,足が動かせないほど痛くなった。ちょうど母の実家に戻っていたとき,おろらく3日だったのだろう。翌日,家に帰って,近所の医者にかかった。その医者は,わたしの顔のむくみから腎臓の異常に気づき,すぐに総合病院へ行くようにと,紹介状を書いてくれた。その日だったのか,翌日だったのかはよく覚えていないが,名古屋第一日赤病院へ行った。

足の痛みはリウマチ熱だった。何がどう関係するのか,何度調べても忘れてしまうが,腎臓の異常も関連する病気だったように思う。そのまま入院することになった。腎臓よりもリウマチ熱の方が問題だということで,そちらの治療が中心だったと聞く。治療と言っても,毎日注射をするくらい。針を刺す腕が硬くなってしまうほどだった。ただ,そのときは注射の痛みはまったく気にならなかった。何よりも,足の痛みがたまらなかった。

あとで聞いた話では,一時かなり重症だったようだ。そんなわたしをかわいそうに思ってか,欲しいものを買ってくれることに。どこで知ったのか忘れたが,わたしはレゴが欲しかった。他のブロックではなくレゴ。他のブロックは,部品がやや大柄で,細かな細工ができない。また,結合も緩かったりきつかったりと不安定。でも,レゴは違う。少し弾力性のあるプラスチックでできており,しっかりと結合し,がたつかないし,不用意に外れたりもしない。最大の欠点は当時はけっこう高価なこと。

どれだけ待ったのか覚えていないが,蒸気機関車のセットを父が買ってきてくれた。小学3年生がブロックで遊ぶというのは,少し幼稚に感じるかもしれない。でも,そのセットでさまざまなものをつくった。自分で工夫して,自分だけの車を設計したり,不思議な模様の立体をつくったりと楽しんだ。想像力をはたらかせると,レゴでつくった無骨な模型も角がとれてスポーツカーにも,ジェット機にもなる。

中学生になっても,レゴを出して遊んだこともあったが,その後は忘れてしまい,そのときのレゴはいまはない。いつ処分したか,その記憶もなくなっている。ただ,大学生になって,なつかしさからレゴを買ってみた。その後,二度,三度,レゴの小さなセットを買ったが,もちろんそれで遊ぶわけではない。そして,50歳の父の日に,22歳になった娘のプレゼントが何とレゴ。久しぶりにレゴで楽しんだ。