「数学入門(上)」


「数学入門(上)」遠山啓著(岩波新書

1959年発行の本なのでかなり古いもの。でも,数学,しかも入門レベルでは,いまも変わりはないだろう。

数学教育の中で,自然数をどのようにとらえさせるかというテーマで,この本のことを知った。また,基本を通して確認してみたかったのも買った理由だ。

古代から近代・現代にいたるさまざまな話題,歴史上の人物のエピソードなども交えながら,非常にしっかりと数学をまとめていく。徐々に複雑になってくるので,式を追っていくのは大変だ。でも,そこにこだわるよりは,数学的な見方や考え方に注目するのがよい。

まだ上巻しか読んでいないが,いまさらながら,そうだったんだという発見がある。質のよい入門書を通読するのも悪くはないと思った。

ただ,やはり記述が古い。表現などもいまではなかなかそのようには言わないものもある。こういうところが,とりつきにくさになっていくのだろう。いまの人たちにあった,このような内容の本の登場を期待する。

さて,上巻を読んで,印象に残ったことを記録しておこう。数学的なことよりも,コラムネタのようなものばかりになったが。

まずは「はしがき」の内容に驚いた。

多くの人々にとって数学は試験に及第するためにだけ必要な科目で,…

というのは,ますますその傾向があるのではないか。

しかし,

ところが,近ごろになってすこし事情が変わってきた。数学がいろいろの場面にのさばりはじめたのである。自然科学や技術の方面ではもちろんのこと,経済や政治の方面にも数学が登場してくるし,会社の経営や商品の販売にも幅を利かすようになってきた。(中略)これまでの腰だめ政治や腰だめ商法ではやっていけなくなってきたのである。(中略)人間生活がますます集団化し大量化していくことはまちがいない。そうなると数学抜きの腰だめ方式は至るところで行きづまるほかはあるまい。

と続く。これから経済成長へと向かっていく状況で,数学の重要性は多くの人が認めていたのだろう。

経済成長の限界が見えている現在,また目先の実学が尊重される中で,数学は軽視されているように思う。受験数学についていけないからと言って,数学が嫌いになり,無用のものと決めつけてはいないだろうか。ものごとを深く考え,追求することは,人間だけが手に入れた生存の手法である。数学で学ぶ事柄や,数学の考え方は,人が生きていく上で,大切なものであるとわたしは思うのだが。

分離量と連続量の考えについては,中学生くらいになら,きちんと説明してもよいのではないかと思った。わたし自身は,このようなことを教えてもらった記憶はない。

数学では,いままで曖昧にしてきたことがらについて,その本質を追究して,それをきちんと定義する。それが逆になじみにくさにもなっているのかもしれないが。

ゲーテが数学者について述べたこと(P.31)

数学者はフランス人に似ている。彼に向かって何を言っても,彼はそれを自分自身のコトバにほんやくして,それをまるで異なったものにしてしまう。

分数の計算すらできない大学生がいると話題になった。確かに,分数の計算,特に加減は面倒であり,わたしも嫌いだ。でも,計算ができることも大切だが,もっとその意味するところがわかるかどうかも重要なのだろう。

ドイツ語のことばから(P.31)

ドイツ語には"in die Bruche gehen"というコトバがある。これは直訳すると「分数に入る」となるが,本当の意味は「わけがわからなくなる」ということである。それくらいむつかしいとされてきたのが分数なのである。

加減と乗除(P.53)
長さ×長さ=面積,長さ÷時間=速度 というように,乗法や除法は,新しい量を作り出す。それに対して,加法と減法は,同じ量についてしか行えない。この視点はなかなか興味深い。また,

このように×,÷と+,−の役割のちがうことから,一つの計算規則が定められている。それは+,−,×,÷の現れる計算では×,÷を先にやって+,−をあとでやる,という規則ーーつまり乗除先行の規則である。そのわけは×,÷を先にやって,+,−をあとでやるほうが,+,−を先にやって×,÷をあとでやる場合より多いからである。

というのも納得させられる。

マイナスの記号(P.63)
マイナスという数を導入することによって,いままでの数にもわざわざプラスという記号をつけなくてはならない。この点について,「機関車」が「蒸気機関車」や「電気機関車」になったり,「服」が「洋服」や「和服」になるようなものだと。確かにそうだが,例が古すぎるように思う。

現実とのつながり(p.69)
プラス・マイナスのかけ算の規則の議論が,400年くらい前にあった。マイナス×マイナス=プラスは誤りだと主張するものに対して,ローマのクラヴィウスは,

プラス・マイナスのかけ算の規則を証明するのはやめたほうがよい。この規則の正しい理由を理解できないのは,人間の精神の無力によるというほかはない。しかしこのかけ算の規則が正しいということには疑問の余地はない。なぜならそれは数多くの実例によって確かめられているからである。

方程式(P.83)
方程式でxを未知数にするわけを書いている。

今日普通に使っているxはデカルトが使いはじめたといわれるが,なぜアルファベットの中でとくにxをえらんだかというと,フランス語にはxが多く,そのために印刷屋がxという活字をたくさんもっていたからだという。

代数の語源(P.85)

アラビアの数学者アル・クワリズミは移項をアルジャブル(al-jabr)と名づけた。この移項を意味するal-jabrが代数学を意味するalgebraの語源なのである。
この言葉はムーア人によってスペインに輸入されて,「復元」という意味になった。そしてalgebristaというのは「復元者」で,「骨つぎ医者」という意味を持っているという。

代数−ずるい算数(P.89)
方程式さえ立てれば,それを解くだけで答えが得られる。このことから,ライプニッツのいったことは,

式が代わりに考えてくれる

アインシュタインが少年時代に技師をしていたおじさんに「代数とはどんな学問ですか」とたずねたら,おじさんは「するい算術だよ」と答えたという。

ニュートンのことば

算術では与えられた量から求める量へと進んでいって問題が解けるのにくらべて,代数が逆の方向に進む。つまり,あたかもそれがよく知れているかのように,求める量から出発して,既にわかっている量へ,それが求める量であるかのように進んでいく。そして,結論もしくは方程式を立てて,それから未知の量を探し出すのである。これが代数のすぐれた点である。

連立方程式と行列(P.102)

数学では新しい形式や記号の発見が,しばしば大きな進歩のきっかけをつくってきたのである。行列の記号もそのように威力ある形式の一つである。
ラプラスは「うまい記号を発明することは,数学の戦闘の半分勝ったようなものだ」といったが,この行列なども,そのようなうまい記号の著しい例である。

わたしは高校時代に行列を学習した。2×2の行列がメインではあったが,連立方程式や一次変換につながり大変興味深かった。

ロバの橋(P.121)
ヨーロッパで大学がつくられたころ,数学は幾何が中心で,ユークリッドの『原論』がテキストだった。しかし,当時の大学生がこれを理解するのは大変だった。5番目に出てくる定理の証明で多くはつまずいた。その定理は,二等辺三角形の底角は等しいというものであったが,『原論』の証明は非常に複雑であった。そのため,この定理を「ロバの橋」というようになった。頭の悪いものには渡れないという意味だ。
ロバ扱いされた学生も負けずに,「つまずくやつがロバじゃない,わたるやつこそロバ」と返したらしい。

以上が,読んでいて気になり,本の端を折っていたページからのメモ。このようなネタをもとに,何か仕事に生かせたらよいのだが。

なお,わたしは数学が嫌いではない。自慢ではないが,いまでもセンター試験レベルならふつうに解くことができる。でも,本当に数学が好きなのだろうか。50歳を過ぎて,そんな疑問を感じるようになっている。受験数学の問題を解くのが,ゲームのように楽しいだけで,数学の本質を見ていないのではないかと。

そのような思いをもっていたからこそ,数学について,いろいろな本をあさっている。「数学らしさ」を感じさせてくれるもの,それが理解できるものを探して。