本の世界と現実の世界

連休明けからは毎日ほんとうにせわしない。その割には,何をしたと言えるものもなく,時間だけが過ぎていく。とにかく,一つずつ,確実にこなしていくことが大切だ。そんな中ではあるが,講演が聴きたくて,午後3時ごろから東京へ向かう。
きょうは早朝からお昼まで,部内の打ち合わせ。午後からは,チームのスタッフと打ち合わせ。そうこうしているうちに出かける時間に。

講演も期待していたが,その後の懇親会で,講演者と直接話ができるのも魅力。講演が午後8時半まで。それから懇親会なので,名古屋に戻るには途中で失礼するしかない。
ずっと迷っていたが,きょうは泊まってでも,懇親会に最後まで参加しよう。そう思って講演後にあちこちのホテルに電話したがすべて満室。やはり帰るしかない。運命のなすがままというのがわたしの生き方。
懇親会が始まるやいなや,最も話してみたかった方と話す。それから順に,きょうの講演者全員と話をして,急いで会場を出た。最近の仕事の通り,たいへんせわしない。

しばらく前から,最初に話をした方の著書はよく読んでいた。本から得られる情報,そこからつくりあげる著者のイメージ。いままでも多くの本から,さまざまな著者を勝手にイメージしていた。かつては,本を書く人に直接会うなんて,考えてもいなかった。本を読んで,勝手に考えている方が楽だし,人と接する負担もない。わたしは人見知りであり,人と話すのは得意ではない。
でも,年をとるにつれて図々しくなり,少しずつあちこちに出かけるようになった。そして,きょうのように,ずっと著書を読んでいた人に会うことも。

その人の本が好きであればあるほど,直接会うときには緊張する。実際にことばを交わすのは,わずかな時間。そこでうまく何かを伝えようとしても,後で考えると恥ずかしくなるような結果に。かつて,京都でお会いした方もそうだった。失礼なことを言ってしまったと,あとで後悔するばかり。
今回はと言えば,ほとんど意味のない会話だったように思う。こちらの言いたいことと,相手の関心事は異なっており,すれ違いだった。何かよい印象を残したいと思いながらも,あせるばかりでパッとしなかった。まあこれが限界だと,自分を慰めるしかない。
懇親会のご馳走には手をつけず,急いで東京駅に戻り,駅弁とアルコールを買って,最終に乗り込む。その人の本を読むことで,著者と話をした現実から離れ,本そのものを楽しむ。本は,著者を越えて広がっていくものだと,勝手な理屈をこねて現実逃避。