隠すマスコミ、騙されるマスコミ

隠すマスコミ、騙されるマスコミ (文春新書)

隠すマスコミ、騙されるマスコミ (文春新書)

マスコミの流す情報を鵜呑みにしてはいけない。わかっていても,自分自身で一次情報にあたることができるものは限られる。ならばマスコミの癖をつかんだ上で,それをうまく使いこなすしかない。

 マスコミ自身が騙されて,嘘の報道をしてしまうことがある。また,世の中の流れに合わせて,時代に適した書き方を選んだり,強いられたりもする。そのようなことがあると意識して,日々流れる情報を見ていないと,本質を見失うことになる。

 第4章 “同時多発テロ事件が試した「報道の限界」”は重要だ。自由な国アメリカで,マスコミが感情的になり,正確な報道を怠る。このテロに立ち向かうため,一致団結するため,それを妨げる報道は自粛する。それに反したものは,政府から,そして世論から攻撃を受けてつぶされる。こんなことがあってよいのだろうか。

 第5章 “クローン技術と呼ばないで”は興味深い。どこまで正しく理解して,この新しい技術に意見しているのか。ここでも,誤解に基づく感情論が含まれる。また,科学者も,自分の研究を正当化するために,正確な情報を流さず,短絡的な宣伝に走る。このような状況で,一般の人たちが正しい判断ができるのだろうか。

 記者クラブについて,一部で議論を呼んでいることは知っていた。しかし,新聞やテレビの情報に頼っていたのでは,この問題の本質には迫れないだろう。新聞やテレビは,記者クラブによる特権を得ている。そのようなメディアが,記者クラブに反対する情報を流すとは考えられない。週刊誌や単行本などの情報も合わせて得ないと,正しい判断はできないだろう。

 中国と日本との比較もおもしろい。日本には報道の自由がある。しかし,海外のメディアは,日本の閉鎖的な環境の中で,十分な活動ができていない。中国には日本ほどの自由はない。しかし,海外のメディアに対して,うまく情報を流してアピールしている。世界の報道機関は,日本よりも中国に向かう。経済的に影響力の大きな日本であるが,世界の場での注目度は意外なほど低い。そのわけは,このようなところに隠されている。

 情報をオープンにすることは危険を伴う。しかし,できるかぎり公開して,多くの議論をつくしてことにあたれば,それらは確実なものとなり,また広く認められる。そのような理解に立って,これからのマスコミを考えなくてはならない。