においの記憶

 26日の独り言を読み返した。何だか疲れやすいと書いたところで意味がない。ただ行ったことを列挙するのも能がない。何らかの意見なり,心情を書き表すのがよいのではないか。
 きょうは〈におい〉の記憶について。地下鉄でときどきなつかしいにおいに出会う。9歳のとき,病気で3か月ほど入院した。病棟でのにおいだ。何となく粉っぽく,ミルク風の甘いにおい。記憶が美化されて,心地よいにおいに変わっているのかもしれない。ほんとうはもっと薬っぽい,消毒液風の重たいにおいだったのだろう。でも,その甘いにおいが,30数年前の記憶を引き出す。
 完全看護の小児病棟で,重症でない子どもたちは,食堂でいっしょに食事をした。朝,その部屋には陽がさしていた。看護婦が湯を入れている大きな白いポット。医者が手を消毒するときに使う白い洗面器。そのポットから洗面器に湯を注ぎ,そこに牛乳のはいったびんをつける。温まった牛乳のにおいが,このにおいの記憶に重なっているのだろうか。
 おそらく化粧のにおいだろう。地下鉄でのにおいは,どこからともなくやってくる。先日もそのにおいがした。ふと横を見ると,若い女性が化粧中。証拠をつかんだような気がした。
 ところで,電車の中での化粧は,いまではめずらしくない。でも,古くはスーパーマンウルトラマンなどは,決して人前では変身しない。仮面ライダーだってそうではなかったか。しかし,ポケモンは人前で進化(変身)する。人前で化けるのは,いまの文化なのか。
 さて,このような文は,何らかの意見なり,心情なりと書き表したものだろうか。考え出すと結構むずかしい。あまり悩まずいろいろと書いた方がよいとも言える。勝手に開いているWeb,それも独り言なのだから,どうでもいいと言えばそれまでだが。