おばの一周忌

 早いもので,おばの一周忌。亡くなったおばのことは,去年の3月8日の独り言に書いた。もう一年がたとうとしている。
 父親を連れて出かけた。父親も,おじやおばが亡くなったダメージか,その後はますます老いてきた印象だ。ずっと以前から,もともと行動や言動でつじつまがあわないことが多い人ではあった。でも,最近は特に強調されているようだ。ぼけが進んでいるのだろう。
 去年,おばの49日の法要も,わたしが父親と出かけた。その日と同じように,自宅で供養をし,少し離れた場所で皆で昼食をとった。主催者である方や住職と同じ席で,ちょっと落ち着かない。
 父親が心なしかおとなしい。去年はもっとしゃべり続けていた。つじつまのあわないこと,どうでもいいことなどを,次々にしゃべり続けていた。くだらない内容ではあるが,少なくとも,その場にいた人たちが沈黙に悩むことはなかった。
 それが今年は沈黙に苦しむ。皆が黙ってしまい,ただ箸を運ぶときが多い。何となく気まずい。おとなしくなった父親は,それでもよく食べる。食欲と胃腸の丈夫さは変わっていないようだ。
 お経の間,おばのことを思い出し,食事の間,父親の変化に少し驚いた。