ただ乗り

 プライベートな時間を使ってコンピュータとつきあうことにより,より深い理解を得てきたつもりだ。多くの失敗があり,とんでもない無駄もしてきた。自分自身への投資だと思い,何台もコンピュータを買い替えてきた。いま,コンピュータを多少なりとも活用できるのは,すべてがそれら自己投資の結果だと思う。
 そのような努力の過程で,多くの非難や批判もあった。いままでの方法でうまくいっているのに。無駄ばかりしている。遊んでいるのではないか。そのようなことばを聞きながらも,自分の思うところを進めてきた。もう,そのような批判をされる立場でもなくなったが,さらに先に進もうとすれば,不平や不満から同様の障害が生じるだろう。
 コンピュータが仕事に欠かせないようになってきた。それとともに,よく質問を受けた。やがて,できるものが環境を整えるのが当たり前のようになってくる。非難や批判をしていたものも,当然のようにその環境を使う。心の狭いわたしは,あまり気分がよくないこともある。でも,うまく機能して,自分が描いていた方向にきたことを心から喜んだ。
 よりよいものをめざしていると,現状の方法をいつも否定することになる。技術はますます進歩する。それをうまく生かせないかと,新しいことを模索し,混乱して失敗もする。現状肯定派には,無駄としか思えないことの繰り返しだ。
 昨日の話も,そのような流れの1つである。
 わたしは,ただ乗りを責めているわけではない。軌道に乗った方法を活用して,大きな利益を生み出してくれる。それは大切なことだ。ただ,見えないところでの積み重ねが,そこに働いている。それを理解して欲しい。そのような気持ちを持たないと,新しい何かを築くものがいなくなる。
 最近,そのような傾向が顕著だと思う。それが一番心配だ。また,何より悲しい。