ノーベル賞を受賞した科学者は,遠い世界の人で,会って話をすることがあるなどとは思わなかった。しかし,地元の大学から受賞者が出て,それがいっきに身近になった。受賞直後に面談を依頼し,たいへんお忙しいところに,はじめてお会いした。そのときは15分刻みの来客で,その貴重な15分をいただいた。とにかく緊張してしまい,あまり話もできず,あっという間の15分だった。
ところがその後しばらくしてから,中学生に講演するため,いまの中学生がどのようなことを学校で学習するか教えて欲しいと連絡が入った。研究室の助手の方からだったので,その方に説明するのだと思い,気軽に尋ねていくと,ノーベル賞受賞者がいらっしゃる。受賞直後のときと違って,少し時間にも余裕があるのか,じっくり話ができた。
そのなかで,大先生はわたしに対して,「あなた,物理なんか続けなくてよかったですよ」と。わたしが先生のいらっしゃる大学の物理学科出身で,いまはまったく別の世界で仕事をしていることを,いろいろな話の中で出した。さらに話をしていたときに,しみじみとおっしゃられた。
わたしはあっけにとられた。この意味するところはいまだに理解不能である。わたしの話があまりに非論理的だったのか,あるいは無能さをさらけ出して,物理屋に向かないと思われたのか。ある物理学の研究(次の年にノーベル物理学賞を受賞)に対して,やや批判的な発言をされた。わたしが物理に対して足を洗ったことを,素直に喜んでくれていたのか。
ノーベル賞を受賞する頭脳が,わたしと会話しながらどのように思考したのか。そして,あのようにしみじみとおっしゃられたこのことばの意味するところは,いったい何だったのか。
鈍感きわまりないわたしは,その意味するところがわからず,ただそのことばが印象に残るだけ。