悲しいことばかり

 よいと思ってしたことが,どこかで行き違いが。意見の食い違いの間に閉じこめられ身動きがとれず。よくこのような状況にはまる。よくはまるのは,やはり自分に何か問題があるのだろうか。
 一つずつ積み重ねて,やっと信用が生まれはじめる。でも,わすかの失敗で,それは一度に崩れ去る。こんなはずではなかった。よく聞く話である。
 先週の金曜日,午後8時頃までは順調であった。その後,考え方の違いや誤解から,ボタンの掛け違いがはじまる。こんなとき,配慮の足らない一言が,事態をますます悪化させる。そんなつもりではなかった。よく思うことである。
 よいと思って頑張ったからこそ,この行き違いは非常に悲しい。責められればいたたまれない。どうしてこうなってしまうのか。なぜか不幸は繰り返す。
 きのうは久しぶりに父親に会いに出かける。でも,会って5分もしないうちに口論に。すぐに家をあとにする。いらいらと,いやな気分と,悲しみだけが残った。
 このあいだ会ったとき,父がコーヒーやお茶を入れてくれた。それを家人に話すと,なぜいれてあげないかと言う。もっともだ。きのうはおいしいコーヒーを持っていった。いっしょに飲もうと思った。
 父親とはよく意見が食い違う。考え方が大きく異なる。ほんとうは性格が似ているのだろう。ラフなところと,細かいところが混在している。でも,その波長は見事にずれている。そのため,すべてに意見が合わない。話をしていてもお互いに疲れるだけだ。
 わたし宛の請求書が間違って父親の家に届いた。父親は気を利かせて立て替えた。それを返しに行くのが目的だった。せっかく立て替えてくれたのに,その支払い方に問題があると,わたしは怒った。そこから言い合いになる。よいと思ってしたことを,ここではわたしが責めていた。
 こんなことはよくあることだろう。子どもが親にほめてもらおうと食器を片づけようとする。きちんとできれば,子どもの期待通り,親はまずほめるだろう。でも,食器をひっくり返したら。冷静に考えれば,子どもの気持ちはよくわかる。だが,まず頭に血が上る。
 この子どもの役と大人の役を,この3日間で複雑に演じてしまった。何だか,悲しいことばかりである。