貧しさと豊かさ

 休日も半分終わりに。これから加速度がついて,時間が過ぎていくだろう。とりあえず,ゴールデンウィーク前半の記録をしておこう。
 27日は久しぶりに図書館へ。近所の市立図書館と,地下鉄で2駅の県立図書館のはしご。市立図書館では新刊本をながめ,県立図書館では気になっていた雑誌を見る。女房といっしょに行ったのだが,お互い趣味が異なるため,ほとんど別行動。
 帰宅後,LOOXpTeXやGhostscriptなどをインストールする。
 28日は1年ぶりくらいに女房と映画へ。「Catch Me If You Can.」を見る。平日だからか,館内は空席が目立つ。過去の話として進めて,現在は成功しているという展開は陳腐である。また,ストーリーはやや現実離れしている。でも,疲れている身には,軽いところが楽しめた。
 昼食を食べて,本屋により,コーヒーを飲んで帰宅。なんだかひどく疲れて,そのまま眠ってしまう。夕食に起きて,家族と食べ,また眠る。
 29日は家族とハイキングの予定だった。前日に弁当も準備したが,天気がよくない。予報では晴れのち曇りだが,午前中にも降り出しそうな空。湿原を歩き,外で弁当を食べる予定だったので,残念ながら中止に。弁当は朝食になる。
 ところが,天気は回復。なんだか悔しい。午後から,家族で名古屋城に藤を見に行くことにする。中3の息子は最初いやがったが,「ミスター・ドーナッツ」でおやつということばにつられて参加。貧しいわが家である。
 名古屋城までは歩いて20〜30分。家族4人でゆっくりと話しながら向かう。息子と女房,娘とわたしのペアができる。高2の娘と話をしながらの散歩。藤棚の下を歩き,藤が見えるところでもってきた缶ビール(ほんとうは発泡酒。やはり貧しい。)を飲む。やや悔しい青い空が,雲の間から見える。ゆったりした時間を感じる。

 約束通りドーナッツのおやつ。息子は2つも食べ,満足そうな顔。来た道を,4人でぶらぶら歩いて帰る。
 帰宅後,女房と買い物に。ビデオも借りる。この日のハイキングに代わる行事その2は,家でのビデオ鑑賞。「オーシャン11」を家族で見る。のんびりした一日。息子と風呂に入る。息子とはよくいっしょに風呂に入る。せまい風呂に,二人で小さくなってつかる。
 ゆったりとした時間の流れと,家族との一日。豊かなわが家である。
 一転して,30日は休日出勤。といっても,11時に原稿を渡すのが目的なので,その前後で机のまわりを少し片づけた。机2つとキャビネットをいくつか占有している。コピー用紙の空箱を二つに切ったものを整理箱にしている。いくつかの箱に,分類しているつもりなのだが,仕事の進行とともに,入り乱れてくる。その箱の中から不要なものをとり出して処分する。大きな段ボール箱2箱分のゴミが出た。しかし,占有面積は変わらなかった。
 夕方から,上司(というべきなのだろう。オーナーでもある。)と大須の電気街へ。電気街もおもしろくなくなった。電気街が変わったのか,わたしが変化したのか。ぶらついたあと,二人でコーヒーを飲みながら仕事の話。夢のある話と,現実の厳しい話。現実は厳しくつらい。
 売れるものをつくっている人は,売れるものがよいものだと断言する。売れないものをつくっていると,売れるものがよいものとは限らないなどと言い訳したくなる。でも,商売は売れなくてはやっていけない。やはり,売れるものがよいものなのだ。
 いままでたくさんの本をつくってきた。その1冊1冊に,深い思い入れがある。その中でも,半年以上も休まずにつくりあげた本がいま危機にある。できは悪くないがはえがない。他社との比較で光るものがない。こういう場合はブランド力がないと弱い。何か仕掛けを。ずっと苦しんでいる。