ぼくの見た戦争

ぼくの見た戦争―2003年イラク

ぼくの見た戦争―2003年イラク

人は集団をつくり対立する。ある子どものグループが,隣町の子どものグループに出会えば,多くはいがみ合う。でも,さらに遠くの子どものグループが現れると,身近なグループどうしは手を組んで,外部から来たものたちを排除しようとする。

ふだんは校内で喧嘩をする生徒たちが,修学旅行では同盟を結び,他校の生徒と衝突する。戦争は,この規模がやたら大きくなったとしか思えない。

人は一人では生きていけない。だから集団をつくる。その集団が大きくなると,その集団が個性をもち,生き物のように振る舞う。その典型が国家だ。国家の存続にとって,戦争が意味をもつ。国家の利益にとって,戦争は重要になる。

でも,個人にとって,戦争は単なる殺し合いだ。何の恨みもない相手を,国家のために殺す。平和な世界で出会っていれば,よい友だちになっていたかもしれない人を,「敵」と抽象化して撃ち殺す。でも,兵士を責めるわけにはいかない。彼らは,自分が撃つか,相手に撃たれるかという状態におかれているのだから。

そのような極限状態は,想像するだけでめまいがする。

正義のための戦争なんであるのだろうか。あるとすれば,それはだれのための正義なのか。ある人にとって正義であっても,他の人には正義でないこともある。そんなことは,だれでもわかっていることだ。にもかかわらず,「正義のための戦争」が叫ばれ,そのために殺し合う。

戦争の悲惨さ,残酷さ,無意味さ,虚しさ,…を,ずっと語り継がなくてはならない。もっと想像力を働かせて感じなくてはならない。そして,そろそろ戦争をする本能を,冷静な知性で補うことを,真剣に考えようではないか。