母が転倒で骨折し入院(2)【救命救急医療の現実】

救急治療室に入ってから,さまざまな治療のようすが,音や声から伝わってくる。救急車で運ばれて来た心肺停止状態の患者もいた。「気道を確保しました」「1,2,3,4,…」と,人工呼吸器を付けたり,心臓マッサージを行ったりしていることがわかる。「手が空いている医師は来てください!」という声もあがる。救命救急医療に携わる方々が必死になっているようすがよくわかる。

一方では,明らかに軽い症状の患者も来ていた。待合室で待っているとき,ゲーム機持参で遊んでいる子が呼ばれて,親とともに診察室に入っていくことも。多くの方は,何らかのけがや病気で苦しみながら,自分の順番が来るのを待っている。でも,その中には,あまり急患とは思えない人もいるようだ。

看護師に告げることで,重症の患者から診察は行われるようになっている。それは当然だろう。だからこそ,母のような命には別状のないものは,とにかく待つしかないと思っていた。軽症の患者に対して,わたしは腹立たしさを感じたが,病院のスタッフは,軽症の患者に対しても,もちろんふつうに応対していた。そのようにせざるを得ない,この状況に悲しくなった。

このようなようすを見ていて,救命救急医療の問題点を,少しは感じることができた。待合室には,救命救急医療の大切さと,軽い症状で安易に受診しないことを伝えるポスターがあった。安易な受診が,重症患者の苦しめるばかりか,ときにはその命を奪う可能性もあると思った。

わたしたちが救急車を呼ばなかったのは,どこの病院に連れて行かれるかわからないという不安があったから。でも,それだけではなく,安易に救急車を呼んで,本当に必要な人の救命が遅れてはいけないとも考えたからだ。

ただ,いまの状況からは,救急車を使った方がよかったのではと思えてしまう。救急車なら,病院に着いてもこんなに待たされず,もっと早く,よい治療が受けられたのかもしれない。これではますます安易に救急車に頼る人が増えてしまい,救命救急医療は破綻してしまう。