息子の二十歳の誕生日

きょうは息子の二十歳の誕生日。とうとう息子も二十歳だ。

1月7日の朝5時,陣痛がはじまったかもと女房に起こされた。その日は,女房の実家にとまっており,そこから急いで車で病院まで。しばらく病院にいたが,陣痛はおさまってしまったようだ。わたしは病院から会社に向かった。その車の中で,昭和天皇崩御を知った。

結局その日には産まれず。翌日,平成初日になって息子は産まれた。

平成初日なので,テレビ局などから病院に,きょう産まれそうな人はいないかという問い合わせがあったらしい。ただ,そのときには息子は出てくる気配がなく,病院もいないとこたえていたそうだ。テレビ取材を受けることができず残念だった。

平成とともに育った息子も,とうとう二十歳だ。いま振り返ると,信じられないほど早く過ぎてきた。でも,思い起こせばいろいろなことがあった。でかけたときには,よくわたしが抱いていたものだ。風邪をひいて炎症でのどがはれると,呼吸困難になる傾向があり,何度も入院もした。

滑り台が好きで,何度も階段を上っては滑っていた。あるとき,階段の一番上から,後ろ向きに頭から落ちたことも。大事にはいたらなかったが,念のため一日,入院してようすを見たことも。その年は,いちばん入院回数が多かったと思う。

中学3年の1学期,ある教科の成績が最悪だった。テストの点はそれほどでもなかったので不思議に思い,先生にようすを聞きに行った。どうも提出物を出していなかったようだ。ただ,先生の説明も曖昧。わたしは,先生を問い正すつもりはない。どのように勉強し,どのような結果を出せばいいのかを息子に説明して欲しかっただけだ。

そんなことがあったため,息子も夏休みには少しはまじめに勉強したのだろう。また,先生も気にかけてくれていたのかもしれない。2学期には成績が上がり,私学への推薦の話まで出てきた。これはチャンスだと,推薦で高校へ。

でも,推薦入試が決まってからは,また勉強しない日々に逆戻り。高校2年になるとき,選抜クラスからふつうのクラスに移るかどうかの選択になるくらいに。本人の希望で,かろうじて選抜クラスに残ったが,それでも勉強には力が入らなかったようだ。

高校3年であせって,わたしが数学や英語の勉強をさせることに。研究を兼ねて,TeXで数学のプリントをつくり,10月くらいからほぼ毎日,問題を解かせては,わからないところを説明する。やればできると,小学校のときから言われていた。今回も,多少勉強すれば,それなりには力はつく。最初はむずかしいと思っていた第一志望の大学に何とか滑り込む。

懲りないことに,大学に入っても同じこと。そろそろわたしが爆発しそうな状況だ。こんなふうに書いていると,だんだんと腹が立ってくる。あー,怒れてきた。おい,もしこのブログを見てるなら,父のこの怒りを感じ取れ。

いやいや,きょうは彼の二十歳の誕生日だった。いつもより早めに帰ろうと,8時ごろに席を立ったとき,話しかけられ,立ったまま1時間半。堂々めぐりの議論に。この堂々めぐりについては,いつかまた書きたい。そんな議論を途中でおしまいにして,会社を出たのが9時半。帰宅途中,兄からメールが。これもまた能天気で腹立たしい内容。疲れは極限に。何とか10時過ぎに帰宅。

朝は息子は寝ていたので,きょうはじめて息子に会った。誕生日おめでとうと言葉をかける。息子の誕生日を祝い,きょうはいつもよりは上等のステーキ。ワインを飲みながら,おいしい肉を食べ,徐々に気分がよくなってくる。

そう,きょうは息子の二十歳の誕生日。息子のことを書かねばと思ったが,そろそろ眠らないと。