チェルノブイリ20年

チェルノブイリ原発事故から20年が過ぎた。スリーマイル島の事故はあまり覚えていないが,チェルノブイリは記憶に残っている。
結婚して1年ほどで,最初の子どもが生まれる少し前だった。仕事から帰り,テレビニュースで事故を知った。ニュースステーションだったと思う。北欧への放射性物質の飛散が心配されていた。このまま地球全体が汚染されるのではないかと心配した。
あれから20年が過ぎたが,原発のあった地域では,いまだに汚染が続いているという。
この事故のあと,ドイツなどでは原発廃止へと向かった。原子力を扱うことの難しさを,多くの人が気づき,原子力を避けるようになった。
日本は,チェルノブイリの直接の影響を受けなかった。だからなのか,日本では,原子力の開発は続いている。エネルギー資源としての依存もますます大きくなり,いまでは簡単にはやめることができないレベルになっている。日本でも,臨界事故など重大な事故もあったが,あとにはひけない状況なのか,大きく後退する気配はない。
三陸海岸沖などでは,周期的に大地震が起こり,津波による甚大な被害を受け続けている。悲惨な災害を受けた当初は,被害を受けやすい地域に住むことを避けたり,後世に津波の恐ろしさを伝える石碑を建てたりして,同じような災害を起こさないように注意する。
しかし,世代が変わってくると,そのような経験も風化し,津波の恐ろしさを忘れてしまう。30年1世代とすれば,100年では3世代。祖父の代の災害を,孫はどれほど意識できるだろうか。そのようにして,災害は忘れた頃にやってくる。
チェルノブイリでは,いまなお汚染は続いているが,日本においては3世代以上の隔たりがあるように感じる。いつの日か,チェルノブイリのような事故が日本で起こらないと誰がいえるのだろうか。そのような視点に立って,原子力開発やエネルギー問題を考えないと,災害は忘れたところにやってくる。

原子力開発に対しては,若い頃は絶対反対だった。しかし,現在のように,原子力に依存した状態で,どこまで反対できるのか自信をなくした。また,年をとったのか,現状を肯定する思考が身についてきたようだ。ときには,そのような自分を意識して,若さを取り戻さないといけない。

ところで,きのうから大型連休。ほんとうは7日まで休みだが,1日と5日に仕事が入ってしまった。しかも,きょうで休みが2日過ぎた。残りは5日。大切に使いたいものだ。