父の葬儀

朝7時半に起き出す。目覚めはいまいち。8時に朝食が来る。朝食後には,斎場の係との打ち合わせ。きょうの進行と,初七日の参加人数などを確認する。ただ,最終的な人数は,人が集まってみないとわからない。
9時頃,女房と子どもたちもやってきた。その後,受付の人たちが準備をはじめ,引き続きさまざまな人たちが集まってきた。久しぶりに会うおじやおばたちも。
朝10時はすぐにやってきて葬儀がはじまった。25分くらいの経のあと,まずは親族の焼香。引き続き参列者の焼香。わたしたち兄弟は前に出て礼を。あとで聞いたら参列者は120人くらい。皆に感謝。
告別式では,親類だけで父の棺に花を添える。わが家であずかっている犬の写真も何枚か入れる。すでに生きている父とは別れていた。そして,今度は形のある父との分かれだ。
霊柩車の前に親族が並び,喪主である兄が挨拶をする。兄が霊柩車に乗り,親類はマイクロバスに乗る。多くの人たちに見送られながら斎場を出る。高速道路を使って火葬場に。50番の前に行くように言われる。ここは約50体を同時に火葬できる。なぜか49番が欠番だった。
父を炉に送り出し,親類はまたマイクロバスで5分の休憩所に。今回頼んだ葬儀屋の休憩所で,そこで昼食をとり時間まで過ごす。1時間半で呼び出され,またマイクロバスに乗って火葬場に戻る。先ほどの50番前に集まり,白骨になった父を目にする。
大腿骨がきれいに残っていた。がっちりした体格だった父らしい大腿骨だ。骨も全体にきれいな白。母のときは,ところどころ黒いものがあった。病気や治療薬のためなのか,それとも棺などの材質が変わっているのか。
頭蓋骨もくずれていなかった。係の人が手際よく骨を整理する。そして何のためらいもなく頭蓋骨を砕く。自分の頭をかち割られるような気分。あっという間に拾うべき骨を選び出す。50もある炉の前で,次々とこのようなことが行われているのだろう。手際よく行わなくては滞ってしまう。複雑な気分になる。
拾骨は10名までにと言われていた。わたしたち兄弟とその家族7人で拾骨するつもりだったが,父の実家から代表で一人,すでに亡くなっている母の実家から代表で一人にも加わってもらい9名で。ただ,骨は二人で拾うことになるので,9名だと半端になる。わたしが2回拾って終える。
3日に亡くなってから,なかなか火葬できなかったが,通夜から遺灰になるまでは早送りで進んでいるように感じる。遺灰を持ってマイクロバスに乗り,斎場に戻る。午後2時には斎場に着き,そのまま初七日の法要。その後は精進落とし。あまりうまくもない料理だが,すべてがセットで進行する。便利であるが,葬儀が段取りよく合理的に進行するのも複雑な気持ちだ。
車で来ている人が多いので,アルコールは出さなかった。そのため,すぐにお開きになる。兄弟の家族だけになりホッとする。終わった。
遺灰など大切なものや花などを持って,兄と妹が先に家へ向かう。わたしたち家族は,忘れ物のないように荷物をまとめる。さあ,帰ろうとしたところ,女房のハンドバックがない。
これは大変だ。第三者が持ち出すことは考えられないが,盗まれたとしか思えない。斎場の係りに事情を話す。1時間ほど探し回るが見当たらない。まちがえて持ち帰った人がいないか,電話までする。結局,女房がトイレに置き忘れていた。冷静に考えれば,すぐに探し当てることができたはず。これが推理できなかったとは残念だ。
父の家で兄弟三人とわたしの家族がそろった。皆で饅頭を食べてお茶を飲む。それから香典をまとめる。二百数十枚の紙幣を前に悩む。現金で持っているのは不安だ。喪主である兄の銀行口座に預けよう。兄とわたしで車に乗って夜7時過ぎに銀行まで。怪しい二人組で,銀行に現金を預ける。
二人ともあまりATM機になれていない。紙幣は一度に200枚まで。適当に入れるとふたが閉まり,あっという間に数えて金額を表示。紙幣を適当に入れたので,その金額が正しいかどうかわからない。残りを数えれば何とかなるがもういい。機械を信用してそのまま預ける。残りの金額を確認したのち,その紙幣も機械に入れて預ける。機械は正確であった。
現金ではなくなったが,今度は銀行カードの扱いが心配だ。兄に注意してもらうしかない。父の家に戻り,きょうは終わり。盗まれるものは残っていないが,留守と見られて荒らされるのも嫌なので,兄が泊まることに。わたしたち家族は父の家を出る。