父が亡くなる

朝7時20分頃妹から電話。病院から兄に,すぐに来て欲しいと電話が入ったと。寝不足で頭がはっきりしない。このまま車に乗るのは危ないと思い,軽い朝食をとる。その後,コーヒーを持って8時頃車で家を出る。同じ市内だが高速を使って病院まで。20分くらいで到着する。
妹が休憩コーナーにいた。父は8時4分に亡くなったと。妹が病院に着いたときはもうだめで,妹が着くのを待って臨終となった。しばらくして兄が来た。またしばらくして,死後の処理が終わり,三人そろって病室で父に対面。顔に触れるとまだ温かい。まずは三人でぼんやりとするのみ。
わたしが荷物の整理を始めると,兄と妹も手伝い出す。父を父の家に帰すための手配を病院にたのむ。10時に迎えが来るという。荷物を片づけて,妹とわたしの車に積む。9時45分,わたしが先に病院を出て父の家に向かう。
家に着いて車を降りると向かえの人に会った。挨拶をすると,父のようすを聞かれ,事情を話す。すぐに町内の代表の方に一緒に挨拶。それから家に入り,父を寝かす場所を確保する。そうこうしている間に,父が戻ってきた。家に帰りたいと言っていた父だが,このような形で戻るしかなかった。

ずっと留守になっていたので,家は冷え切っている。また,危険を避けるためガスを止めていたので,ガスストーブが使えない。何より不自由なのは,湯が出ないことだ。とりあえず,電気ポットで湯を沸かす。
エアコンで暖房を始めるがなかなか暖まらない。そのとき,隣の人が訪ねてきた。ガスを止めていることを知っていて,石油ヒーターを貸してくれる。これで一気に暖かくなる。

さあ,これからどうするか。仏壇にあった父からのメッセージを読み返す。

○○死去のとき
 子供達は全員で
 連絡先は
○○○○(長男の子供)
  (住所,電話)
葬式は○○寺でたのむ
お墓は○子(妻)と一緒にたのむ

上記の件よろしくお願いします。

寺で葬式ができるのだろうか。兄弟で相談した結果,とりあえず寺に電話することに。住職の奥さんが電話に出て,いまは寺では行っていない。できれば斎場にして欲しい。もちろん住職が斎場に出かけるからと。
兄弟で改めて相談。妹は寺で行うことにこだわる。わたしは寺は無理だと思うことを説明する。兄ははっきりとした意見を言わない。
父は互助会に入っていた。その連絡先はわたしの自宅にある。女房に連絡して,その情報を聞き,葬儀屋に電話してみる。葬儀屋は寺でということなら,そのように手配すると。しかし,葬式を行う寺はほとんどないという。
兄弟で相談していると,寺から電話。住職が寺ではやめて欲しいと。寺に断られればあきらめるしかない。斎場で行う方向で,葬儀屋と相談することに。

葬儀屋が来る前に,昼食をと妹が簡単に食べられるものを買ってきた。それらを食べようとしたところに,住職と葬儀屋が同時にやってくる。わたしはその瞬間にインスタントのみそ汁をすすり,助六寿司2〜3個を口に入れる。そのまま枕経がはじまる。兄と妹は朝食も昼食もとれず。
枕経の間,わたしは葬儀屋と打ち合わせ。祭壇を決めたりして,段取りをとる。わたしは4日通夜,5日葬儀にしたかった。
枕経が終わり,住職と日程の打ち合わせ。年末年始で火葬場に休みがあり,ただでさえ混雑する時期。そこにこの寒さで,いまは大混乱という。火葬と葬儀屋の都合で1日遅れの日程を提案。住職がその予定ではあわず,結局2日遅れ,6日通夜,7日葬儀。

2日も余裕ができると,何だか気が抜けてしまう。住職と葬儀屋が帰った後,とりあえず,部屋を暖かくすることを考える。この家にも石油ヒーターがあった。物置を探すと2台出てきた。わたしの車はガソリンが不足していたので,近所のガソリンスタンドでガソリンを入れ,石油を買う。
2台の石油ヒーターで家全体が徐々に暖かくなってきた。どこにどのように連絡するかを三人で相談する。また,きょうは兄と妹が泊まり,明日はわたしが一人で泊まることに。一通りの相談が終わると,わたしはもうやることもない。「ここにいてもしかたがないので帰る」というと,妹がそういう言い方をするから,父が怒るのだと。確かにそうかもしれない。でも,やはりいてもしかたがない。線香を取り替え,焼香をして家を出る。
高速を使わないで走ってみたら,家まで1時間くらいかかった。家で夕食をとり,明日からの準備を。祭壇に飾る遺影と,式場に飾る思い出の写真も,わたしの家に写真がいろいろありそうだったので,わたしが準備することに。いろいろと明日からの準備をしていると,午前1時になってしまう。