本当の無駄とは(2)

 ワープロ専用機が10万円を切ったとき,わたしはすぐに購入した。18年前のことだ。手紙を書く程度にしか使えないものだった。また,当時,手紙は手書きなでないと失礼だという考えもあった。
 1〜2年ほどで高機能になり,2台目のワープロ専用機では原稿が書けた。ワープロで原稿を書いていると話すと,友人は驚いた。ワープロは清書機というイメージだったのだろう。そのような仕事は,俺の仕事ではないと言っていた。
 確かに,手書きの原稿を誰かにワープロで清書させるというのが,一般的だったのだろう。ワープロの編集機能がどれだけ便利で効率がよいか,人に話してもなかなか理解してもらえない時代だった。
 いま,手で書いて誰かに清書させることを奨励するだろうか。重役だってコンピュータを自分で操作し,メールで指示を出すのがふつうになってきている。
 道具がどんどん進歩して,中間に存在していた多くの無駄が省かれる。さらに,仕事の多くを自分のもとに引き寄せることができ,目の通りもよく,確実な指示ができる。このように,合理的で無駄がないものが美しいとわたしは思う。
 また,わたしのようなわがままなものは,自分の思い通りにできるこのようなシステムが,大変ありがたい。